まだまだ必要な支援

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宮城で書いています。
「まだまだ必要な支援」
今、台風が日本に上陸している最中で、被災地ではガレキと砂が小雨と共に真横に飛び目を開けていられない状態です。もちろんガレキ集積区域でも作業中断を余儀なくされています。ガレキ置き場も町のいたるところに存在し、高さが15mを超す場所も少なくありません。飛散するガレキで通行人が怪我をしないことを祈るばかりです。被災地区の中には、未だに強制避難地区で立ち入り禁止区域も多く存在し、防潮堤の建設により、7月になって、やっと2割が解除になったという自治体もあるようです。そういうところでは、がれきの撤去作業もできず泥出しなどボランティアも手を出せない地区が多く存在しているのが現状です。夏に入りボランティアも増える反面、仙台市のボランティアセンターも整理統合され、担当者によると、お盆以降のボランティアの数が激減するのが怖いとの話もあります。
さて、3.11当日何が役に立ったか学校関係者、金融関係者にお聞きしましたら、まず、ラジオ、ライト、毛布、長靴との答えが返ってきました。備蓄品は1Fの倉庫に置いているケースが多いようですが、水害を考えると、すべて流される場合もあり場所の見直しが必要と感じました。また、備蓄品の中でも、銀色のアルミ箔に入った防災毛布は中まで濡れることなく使用できたそうです。さらに、各机の下に防災リュックを用意しておくのは有効であることが分かりました。学校には、付近の住民も避難してくるので、生徒の数の3倍の備蓄が必要との声もありました。
また、当日、ある金融機関の方は、地震の揺れが収まると駐車場で点呼を取り即座に隣の鉄筋コンクリートのしっかりした建物に避難した。ラジオからは、他の地域が次々と津波にのみこまれたことが報じられ、とうとうその町にもやってきました。そのまま一晩をそこで過ごし、水が引いた後、男性社員が、胸までつかりながら、会社に戻り、食料品、カンパンやクッキー(ホワイトデー用に用意していたもの)などを取りに行き、避難していた付近の住民にまず配り、社員は最後に配布されたそうです。ここでは、自社の人数分だけでは、足りないことがわかります。
判断の遅れで多くの犠牲を出した小学校にも行ってみました。点呼を取って 裏山に逃げるか、橋に逃げるか、校舎の屋上に逃げるか校長不在で判断に時間がかかった。ニュースだけを見るとなぜ裏山に逃げなかったのかわからなかったが、実際に行ってみると、急斜面でとても小学生が登れる裏山ではなかったことがわかりました。高学年は登れたとしても低学年は無理ではなかったか、一か所でも階段があれば助かったようにも思います。流された中で助かった小学生はこの裏山に津波で打ち上げられ、たまたま木につかまることが出来て助かったようです。
また、他の学校では、4km離れた役場まで走ったところもあります。先導した先生に直接話を聞くことが出来ましたが、防災無線のアンテナが折れ、町役場の職員が車で大津波を告げに回ってきた、マニュアルにはない行動であったが、1年生を先頭に4km走ることにした。途中でお年寄りに津波だから一緒に逃げようと告げながら走った。途中で迎えに来る父兄の車に乗せたり、たまたま通りかかった車にのせ、先生も車でピストン輸送(定員オーバー)した結果全員無事に避難することが出来た。残念がらお年寄りと町役場の職員は亡くなられた。
助かった後、中には水が引いて自宅に戻る中学生もおり、その途中で多くの遺体を見ることになり、うなされる毎日が続いたりしている。
このように、心の傷を負ったものも多くいる中、二重ローンの問題や職不足、仮設住宅からの距離、抱えるお年寄りの問題など、「仮設住宅に移ったから自立してください」ではなく、引き続きボランティアも含めた行政支援が必要である。阪神淡路大震災のように「孤独死」にならぬことを祈ります。
私は毎月現地入りして、企業・学校・役場・教育委員会・NPO・連絡協議会・社会福祉協議会などのご担当者とお会いしていますが、現場、現実に合った事業継続計画(BCP)を立て訓練することが重要であり、まずは、「命を守ること」これに尽きるように思います。
初期安否確認は、出先から本部への報告の一方通行とすべし
本部からの連絡は、現場の活動を妨げる。 本部からの指示なくても現場の判断でどこまでできるかのBCPを作成すべし。
本部は、助かったかどうかを確認するのではなく、役場の職員のように助けるための情報を流すべし。
人の命は、発災後15分が勝負。 点呼を取っている間に流されてしまったケースととにかく走ったケースを紹介したが、
別のケースで、屋上の三角屋根に生徒も住民も逃げて助かったところもあった 先生は「偶然です」と言い切る。
津波の1,2,3波が来たが、2波の引き波が 3波を打ち消してくれたようでたまたま偶然で助かったのです。
ある教育委員会の教育長に聞きました。日頃から発災後ただちに対象全校に職員を1名ずつ配置する練習を何度も繰り返していたそうだ。
3.11当日もそれが実行され、10~15分以内に配備。この区域では津波での通学中の学生被害はほとんどなかった。(自宅での被害はあったようだ)

宮城で書いています。
「まだまだ必要な支援」今、台風が日本に上陸している最中で、被災地ではガレキと砂が小雨と共に真横に飛び目を開けていられない状態です。もちろんガレキ集積区域でも作業中断を余儀なくされています。ガレキ置き場も町のいたるところに存在し、高さが15mを超す場所も少なくありません。飛散するガレキで通行人が怪我をしないことを祈るばかりです。被災地区の中には、未だに強制避難地区で立ち入り禁止区域も多く存在し、防潮堤の建設により、7月になって、やっと2割が解除になったという自治体もあるようです。そういうところでは、がれきの撤去作業もできず泥出しなどボランティアも手を出せない地区が多く存在しているのが現状です。夏に入りボランティアも増える反面、仙台市のボランティアセンターも整理統合され、担当者によると、お盆以降のボランティアの数が激減するのが怖いとの話もあります。ツ黴€さて、3.11当日何が役に立ったか学校関係者、金融関係者にお聞きしましたら、まず、ラジオ、ライト、毛布、長靴との答えが返ってきました。備蓄品は1Fの倉庫に置いているケースが多いようですが、水害を考えると、すべて流される場合もあり場所の見直しが必要と感じました。また、備蓄品の中でも、銀色のアルミ箔に入った防災毛布は中まで濡れることなく使用できたそうです。さらに、各机の下に防災リュックを用意しておくのは有効であることが分かりました。学校には、付近の住民も避難してくるので、生徒の数の3倍の備蓄が必要との声もありました。ツ黴€また、当日、ある金融機関の方は、地震の揺れが収まると駐車場で点呼を取り即座に隣の鉄筋コンクリートのしっかりした建物に避難した。ラジオからは、他の地域が次々と津波にのみこまれたことが報じられ、とうとうその町にもやってきました。そのまま一晩をそこで過ごし、水が引いた後、男性社員が、胸までつかりながら、会社に戻り、食料品、カンパンやクッキー(ホワイトデー用に用意していたもの)などを取りに行き、避難していた付近の住民にまず配り、社員は最後に配布されたそうです。ここでは、自社の人数分だけでは、足りないことがわかります。ツ黴€判断の遅れで多くの犠牲を出した小学校にも行ってみました。点呼を取って 裏山に逃げるか、橋に逃げるか、校舎の屋上に逃げるか校長不在で判断に時間がかかった。ニュースだけを見るとなぜ裏山に逃げなかったのかわからなかったが、実際に行ってみると、急斜面でとても小学生が登れる裏山ではなかったことがわかりました。高学年は登れたとしても低学年は無理ではなかったか、一か所でも階段があれば助かったようにも思います。流された中で助かった小学生はこの裏山に津波で打ち上げられ、たまたま木につかまることが出来て助かったようです。ツ黴€また、他の学校では、4km離れた役場まで走ったところもあります。先導した先生に直接話を聞くことが出来ましたが、防災無線のアンテナが折れ、町役場の職員が車で大津波を告げに回ってきた、マニュアルにはない行動であったが、1年生を先頭に4km走ることにした。途中でお年寄りに津波だから一緒に逃げようと告げながら走った。途中で迎えに来る父兄の車に乗せたり、たまたま通りかかった車にのせ、先生も車でピストン輸送(定員オーバー)した結果全員無事に避難することが出来た。残念がらお年寄りと町役場の職員は亡くなられた。ツ黴€助かった後、中には水が引いて自宅に戻る中学生もおり、その途中で多くの遺体を見ることになり、うなされる毎日が続いたりしている。ツ黴€このように、心の傷を負ったものも多くいる中、二重ローンの問題や職不足、仮設住宅からの距離、抱えるお年寄りの問題など、「仮設住宅に移ったから自立してください」ではなく、引き続きボランティアも含めた行政支援が必要である。阪神淡路大震災のように「孤独死」にならぬことを祈ります。私は毎月現地入りして、企業・学校・役場・教育委員会・NPO・連絡協議会・社会福祉協議会などのご担当者とお会いしていますが、現場、現実に合った事業継続計画(BCP)を立て訓練することが重要であり、まずは、「命を守ること」これに尽きるように思います。

初期安否確認は、出先から本部への報告の一方通行とすべし本部からの連絡は、現場の活動を妨げる。 本部からの指示なくても現場の判断でどこまでできるかのBCPを作成すべし。本部は、助かったかどうかを確認するのではなく、役場の職員のように助けるための情報を流すべし。人の命は、発災後15分が勝負。 点呼を取っている間に流されてしまったケースととにかく走ったケースを紹介したが、別のケースで、屋上の三角屋根に生徒も住民も逃げて助かったところもあった 先生は「偶然です」と言い切る。津波の1,2,3波が来たが、2波の引き波が 3波を打ち消してくれたようでたまたま偶然で助かったのです。
ある教育委員会の教育長に聞きました。日頃から発災後ただちに対象全校に職員を1名ずつ配置する練習を何度も繰り返していたそうだ。3.11当日もそれが実行され、10~15分以内に配備。この区域では津波での通学中の学生被害はほとんどなかった。(自宅での被害はあったようだ)